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用語:ススキノ かな:すすきの 品詞:地名 説明: ススキノとは、北海道札幌市にある有名な風俗街。「薄野」とも書く。 日本三大歓楽街(新宿・歌舞伎町、大阪・ミナミとキタ、福岡・中洲)の一つである。 最寄り駅は地下鉄東豊線・豊水すすきの駅か地下鉄南北線・すすきの駅。 だが、「ススキノ」という地名はない。ススキノの特徴は、京都同様に碁盤の目のようになっていて、 住所は札幌市中央区南○条西○丁目という表記であらわすこと。 その店舗数もさることながら、高層化したビル群の中で立体的に拡がった状態にある。 一つのビルの中に飲食店もあれば風俗営業店もあり、隣にはホテルや関連施設があったりと、 渾然一体化しているのもススキノならでは。“眠らない街=ススキノ”の夜の人口は約8万人。 ススキノのもう一つの特徴である治安の良さとボッタクリの多さという矛盾。 宵越しに、若い女性ばかりで飲み明かしても、まず安全という全国でも稀な歓楽地だが 、観光客相手には不当な料金を請求する風俗店が多い。 地元の人やタクシーのドライバー、宿泊先の従業員などの〈情報〉を得てから繰り出すのが得策である。 《歴史》ススキノの歴史は、明治3年、岩村通俊判官の赴任を期に本格的になる。 建設事業再開により、請負人・大工・職人・人夫らが大量に札幌へ流れ込み、 その人々を目当てに貸座敷や「飯盛」と呼ばれる遊女を置いた飲食店が営業をはじめだした。 そこで、自らも妻子を東京に残して来た「札チョン族」の岩村通俊判官は、 開拓のために札幌にやってきた男子をこの地に引きとめておく方策として、 明治4年、薄井龍之工事監事に命じて現在の南4、5条西3、4丁目の2町四方を区画して、 貸座敷、旅人宿、飲食店をここに移し、薄野は「官許遊廓」と呼ばれるようになった。 薄野遊廓は、岩村判官により名づけられたが、 その由来は、この地を選んだ工事監事「薄井龍之」の姓にちなんだものというのが通説になっているが、 一説には当時この一帯が「茅野(すすきのの別称)」だったことから名づけられたという自然地名説もある。 明治29年(1896年)頃には劇場やカフェなどのオープンをはじめ、活動写真を上映した写真館などがぞくぞくとオープンし、 すすきのはその後も札幌の経済の発展とともに繁栄していった。 大正9年には札幌市の人口増加と市街地の拡大により、遊廓は豊平川の川向こうの白石へと移転した。 しかし、遊廓跡にはカフェ・バーなどの飲食店が立ち並び、昭和5年には、その数450軒にもなり、 すすきののネオン発達の基礎を形づくった。その後も、大正、昭和初期と繁盛し、庶民の憩いの場としてのすすきのを形作ってきた。 戦後は、キャバレーやナイトクラブの全盛期があり、昭和41年(1966年)の「冬季札幌オリンピック」による地下鉄や地下街の建設により、 益々繁盛を極めた。昭和40年代頃から、ビル化と店舗の巨大化が進み、この頃にキャバレー「エンペラー」や「ミカド」が相次いで開業。 昭和50年代に入るとディスコ「釈迦曼荼羅」「マハラジャ」などがオープンし、若者も楽しめる街へと移り変わって行った。 この頃から若い女性が一人でも安心して歩ける歓楽街として全国的にも有名になっていった。

フウゾク百科全書とは…

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